レスキュー資料の整理活動



常総市三坂新田町I家被災資料集中整理

2016(平成28)年8月24日~10月19日にかけ、茨城史料ネットでは、2015(平成27)年9月10日の鬼怒川決壊によって被災したI家から救出した資料群の洗浄作業を実施いたしました。
I家は江戸時代に三坂新田村の名主を務めた家であり、利水事業をはじめとする地域開発に尽力しました。そのため、資料の中には多くの村方文書が残されており、地域固有の歴史を伝える貴重なものとなっています。
今回洗浄作業を行った資料は、事前に東北大学災害科学国際研究所資料保存研究分野へ移送し、大形冷凍庫によるカビ繁殖の防止や、真空凍結機による乾燥作業を施していただきました。この場をを借りて厚く御礼申し上げます。

以下、災害発生から洗浄作業が実施されるまでの流れを簡潔にまとめましたので、ぜひご参照ください。また、災害発生~資料救出までの詳細な動向につきましては、茨城史料ネット代表・高橋修教授が執筆しました、「関東・東北豪雨災害 資料レスキュー私記」を掲載いたしますので、そちらも併せてご覧ください。


「関東・東北豪雨災害 資料レスキュー私記(著:高橋修)」(pdfファイル)


○洗浄作業が行われるまでの流れ


<2015(平成27)年>
・9月10日 茨城県・栃木県に大雨洪水警報発令。同日12時50分、茨城県常総市で鬼怒川が決壊。
・9月18日 現地にて資料被害確認調査を実施(~9月20日)
・9月20日 I家訪問。緊急的な保全処置を施す。
・9月21日 水損資料を東北大学災害科学国際研究所歴史資料保存研究分野(以下、災害研)へ移送するため、梱包作業を行う。
・9月22日 災害研へ移送。(~2016(平成29)年8月19日)

<2016(平成28)年>
・2月、3月 茨城史料ネットの学生ボランティアが災害研を訪問
・8月19日 被災資料の大半を茨城大学に移管
・8月24日 集中洗浄作業(1日目)
・8月25日 集中洗浄作業(2日目)
・9月14日 集中洗浄作業(3日目)
・9月28日 集中洗浄作業(4日目)
・10月12日 集中洗浄作業(5日目)
・10月19日 集中洗浄作業(6日目)


   (古文書を解体し、1枚ずつ記録をしている様子)         (古文書を洗浄している様子)

洗浄作業は計6日間のみの実施でしたが、関東各地からのべ約170名の参加者が集い、全体の約7割について洗浄を終えることができました。
今後は、洗浄を終えた古文書の修復・復元作業と併せて進めていく予定となっております。


また、今回作業に携わった学生が参加記を執筆してくれました。下記に掲載しておきますので、長文ですが、ぜひご一読ください。



□関東・東北豪雨の被災資料集中洗浄・修復作業に参加して


2016年8月24日(水)・25日(木)の両日、茨城史料ネットは、昨年9月の関東・東北豪雨で被災した歴史資料の集中整理を行った。
会場となった茨城大学には、東北大学災害科学国際研究所の研究者、茨城県立歴史館の学芸員に加え、茨城大学や水戸第一高等学校の学生たち、そして一般の市民のみなさんがボランティアで参加した。その数は、2日間で延べ70名に達した。
私は、茨城大学人文学部で日本近世史ゼミに所属し、茨城史料ネットの活動にも2年生の頃から参加している。週1回の定例史料整理はもちろん、3月には東北大学災害科学国際研究所(仙台市)で、関東・東北豪雨の被災資料の洗浄・修復を行った。今回は、そのときの経験を少しでも活かせるのではないかと考え参加した。
今回の活動は、主に大学図書館の外の軒先のスペースで行われた。これは、被災資料に付着した臭いの問題を克服するためである。作業の内容としては、主に、関東・東北豪雨で被災した歴史資料の1.現状記録・解体作業、2.解体した資料の洗浄・乾燥作業、3.関東・東北豪雨とは関係のない、水戸市で廃棄された屏風の解体であった。私は1.の作業を担当した。
1.の作業の流れは、次のとおりである。まず、冊子体の資料1点ごとに色々な角度から写真を撮影することから始まる。その撮影を終えた後は、冊子を括っている紐を外して解体し、次いで、一枚物になった資料1丁ごとの写真を撮影していく。単に冊子を解体するのではなく、同時並行で記録をとることが重要である。なぜなら、冊子体の資料を洗浄するためには、資料をばらして一枚物にしなければならない。しかし、一枚物にして洗浄・乾燥処理を経た資料は、いずれ冊子体に復元しなくてはならない。その際、あらかじめ撮影しておいた写真の情報が重要な手がかりになるのである。
1.の作業場には、ヘドロのような強烈な臭いが漂っていた。これは、洪水に際して、資料が川の水や汚水に浸ったからである。ただし、汚れに関しては特別目立ったものは無かったように思う。先にも述べたように、私は3月に仙台で資料整理を行い、一枚物の洗浄作業を行ったが、今回の現状記録・解体作業で扱った帳面の方が、臭いがきついように感じた。
私の実家は千葉県香取市佐原である。利根川のすぐ南に位置し、町の中心部にも川が流れる佐原は、「水の郷」と呼ばれるように、古くから水の恩恵を受けて発展してきた町である。その意味で、鬼怒川と小貝川という二つの川に挟まれることで、農業や流通の局面で恩恵を受けてきた常総市と重なる部分も多いように思う。佐原にも多くの歴史資料が眠っている。私は歴史学を学んでいるので、地域の歴史資料を残していきたいと考えている。今回の活動を通じて、地域にある歴史資料との向き合い方を改めて考えさせられた。すなわち、歴史資料を残していこうという思いは、やはりその地域に暮らす住民自身が持たなければならないと感じた。地域住民が自分たちの地域に残っている歴史資料を認識し、どのような方法で管理していくことが最善か、今回の場合のように歴史資料が被災してしまったらどうするのかという事を、できるだけ日常から考えていく必要があると感じた。
参加していただいた皆様のおかげで被災資料の解体・洗浄は進んだが、それでもまだほんの一部に過ぎない。引き続き、多くの皆様のご協力を乞う次第である。


中里美波(当時茨城大学人文学部4年生)





Copyright© 2011 茨城史料ネット All Rights Reserved.
inserted by FC2 system